なぜ全日本吹奏楽コンクールに出場できたのかシリーズ ~その2~
ユメ中学2年の時。
なんと、何十年も前に我が中学の吹奏楽部を創設した先生が、再度赴任をされるということに!
公立でこんなことってあるんですね。
前回の記事でかいたような習慣を続けていた生徒たちは、学校の先生が指揮を振ってくれる環境に、水を得た魚のように前向きに練習し、実力を伸ばしました。
前の記事↓
tromboneyumenikki.hatenadiary.com
この年は念願の吹奏楽コンクールへの出場を果たし、しかもいきなり予選を抜け次の大会への切符を手にしました。
残念ながら次の大会では銅賞で、さらに上に進むことはできませんでしたが、コンクールに出場すらできない状態だった部活としては大変な前進と言えるでしょう。
練習の内容は特別なことはしていないと思います。
コンクールで抜けるのに必要なこととして最低限、音程や縦、ハーモニーを合わせるために、個人のレベル底上げ、そこからセクションごとを整え、そして合奏へとつなげていくという基本は抑えていたと思います。
そこに加わった前向きに音楽をやれる環境、困ったらすぐに相談できる指導者がそばにいるという当たり前のことが、生徒の安心感につながったのは言うまでもないと思います。
やはり、ハートは大事です。
コンクールに出場できる、これは当たり前のことではないのですね。
今当時の演奏を聴いても、コンクールに出場ができること自体への喜びがあふれていたなと感じます。
そして、コンクールも終わりいよいよ先輩が引退し、私は部長という大役を任されました。
続く・・