大学時代シリーズ〜その5〜
前回記事↓
成田で飛行機が離陸する機内の中。
大学休学して
英語勉強して
毎日練習して
レッスンも受けて
コンクールも受けて
アメリカに行くための、飛行機や、お世話になるトロンボーン奏者の方とのやりとりとか、その他色々準備して
ここまでやっても
私、やっぱり怖い
今ならまだ間に合う
行かない選択も出来る
でも、ここで行かなかったらここまでの私の時間なんだったの?
それだけが、アメリカに行く理由になってしまってました。
そうやって、心も体もバラバラになりそうな心境のまま、飛行機は離陸しました。
この頃はこんな曲が流行っていて、アメリカでこれ聴いたらないちゃったっけなー
寒い地域に行ったので、こんな靴履いて行った。
バナナで釘打てるよ、と言われていて(笑)、周り雪景色で路面も凍ってたのでこういう靴履いてって正解だった。
ニューヨークで国内線に乗り換えて、とある州の空港におりたつ。
…やっと着いた…
でもそこからそのトロンボーン奏者の方の家までさらにシャトルバス。
この移動も全て練習!
ご自宅につくと、この日は本番で家を空けているから、と、事前に教えてもらっていた場所から鍵を取り出させてもらい、中に入る。
手紙とともに、美味しいスープが待っていた…
ここまで、エコノミーで何時間も飛行機で休まらず、機内食も美味しくなくて、まともな食事、休息を取らずになんとかたどり着いた私は、そのありがたさ、暖かさに、感動はしつつも、でもどこか、ちゃんとしなきゃ!という緊張のほうが優っていて、優しさの半分も受け取れていたのだろうか。
そこから、3週間ほど滞在する日程がはじまりました。
続く!!
大学時代シリーズ〜その4〜
前回記事↓
まず、大学へ通う意義がもう見出せなかったので、両親にまずは大学を辞めたい旨を相談します。
そして、アメリカの大学を受け直したい、と。
父親は猛反対。
(そりゃそうだ)
しばらく父娘の喧嘩が続きます。
そこで母親。
これ、今思うと本当に神だと思うんですが、
「あなたの気持ちはわかった。でも、辞めるのはすぐできる。とりあえず休学するのはどう?」
と。そして休学している間に一度短期間でもアメリカに行って来いと。
この選択は、親としてもすごく覚悟のいることだったと思う。
ただでさえ学費の高い音大。
休学するということは留年することだし、休学中だって満額ではなくてもお金はかかる。
しかもその間にアメリカに行かせるということは、結局休学しないのと同じくらいお金かかったんじゃないかと想像する。
そして、この時の私は全くわかっていなかったけど、当時この日本の社会で大卒であることが、それだけでいかに有意義なことか。
親はそれを娘に持たせたかったんだよね。
私は素直に、退学ではなく、休学を選択しました。
私も人の親になって、この時のことはよく思い出します。
そして親の偉大さに、本当に感謝する出来事です。
さて。アメリカ行くなら英会話やで!!
と、なかなかの金額がかかる英会話教室を、親に相談なくポンと契約してきたり
(親にバレて知らないうちにクーリングオフされてました)
自分がより良くなることしか考えておらず、そのためなら、と、お金の概念がぶっ壊れていましたね。
(それはそれですごいけどな笑)
それでも、何をやっても、やはり根底にある自信のなさ。
前にも書いたけど、この自信のなさは
人の言葉、人の評価が自分の心の中心にあるせいだと思います。
前回記事で書いたトロンボーン奏者の方とやりとりをさせて頂きながら、着々と進む渡米準備。
その方のレッスンももちろん受けられるし、アメリカの某有名すぎるオーケストラのトロンボーン奏者の方にもレッスンのアポが取れた。
というのも、ちょうどそのオーケストラが久しぶりに日本公演で来日するというタイミングもあって、最初は日本でのレッスンを個人的に申し込み、快諾頂いていた。
その際に、アメリカにも行くので、その時もまたレッスンをお願いしたいことを伝えていた。
片言すぎる英語と、当時ガラケーでの翻訳機で…思い返せばこの辺はなかなか根性座ってる笑
でも、結局、自分の心がなんともならないので、弱火でコトコト煮込むような焦りがずっと続いていて。
私何しに行くの?
この言葉が浮かんでは飲み込んだ。
これを言ってしまったら、今度こそ、私の自尊心はぶっ壊れる、そんな本能的なものがあったのかな。
そして、迎えた日本を発つ当日。
家の近くのバス停まで母親が見送りに来た。
頑張ってね…
そして、泣いていた。
なんで泣くんだ。
私も泣いた。
成田に向かいました。
続く
大学時代シリーズ〜その3〜
前回記事↓
またしてもすごく時間空きましたが、やめようとは思ってません!!!
さて、上記の記事の頃には、もう自分は何のために楽器を吹くのかわからなかった。
もう楽器を吹くのが怖くてたまらなくて、どうしたらいいのか本当にわからなかった。
だから、誰かに教えてもらいたかったんだ。
こうすれば良くなる、という方法を。
これさえ信じればうまくいく、というようなものを…
でも一番大切なことは自分の心だった。
自分を大切にすることだった。
自分で自分を大切にしてないから、酷い言葉で演奏にダメ出しをされる度に、誰よりも自分が自分を責めて追い詰めていった。
何より、そういう言葉を引き寄せる状態に、自分で持って行っていたんだと思う。
とうとう睡眠障害になって、ストレスを食で発散するからブクブク太り、また酷い言葉を言われればパニックを起こしました。
…そんな私を笑ってください!!
自分、アホやろ〜笑
そして、ここで私が思いついたこと。
そうだ、環境が悪い!!
私、アメリカの大学、受験し直す!!!
……
………
えええええーーー!?!?
アホなん!?
自分アホなんか!?!?
でも、アホな私はこれを実行に移そうとしてしまうのです。
当時、あるアメリカのオーケストラで演奏をされているトロンボーン奏者の方が夏休みに一時帰国された時にレッスンをして頂けると機会がありました。
その時私はレッスン係※だったので、もう日本は出てアメリカで再出発したいという無謀すぎる野望を相談しました。
(※レッスン係→レッスン日程や、どの時間帯でどの学生がレッスンを受けるかなどを調整する係)
すると、その方は
では一度、アメリカに遊びにおいで!
うぉー!!!
行く行く!!!
私の逃避行は加速して行くのです!!
続く!
大学時代シリーズ〜その2〜
ものすごく時間が空きました。前回記事からの続きです。
前回記事↓
とにかく、自分の練習をする時間が欲しかった私は、同じ大学に通う仲間との交流を断ち、意識は大学の外に向かうようになりました。
この頃は高校時代の先生の影響が多大にあり、その先生の門下生とアンサンブルを組んでみたり、門下の合宿をしてみたり。
これが悪いわけではないんだけど、そんなん大学でもやってることなのに超効率悪い(笑)
しかも結局、練習場所の確保や、合宿までやるんだから練習場・付帯設備付きの宿泊施設、そこに行くまでの足、先生へのギャラの集金やお支払いなどなど、各種手配が必要で、実力をあげることとは直接は関係なさそうなこともやってる訳です。
しかも大学でやってることなら毎日同級生と顔合わせて打ち合わせもできるのに、外でやってるから連絡の煩雑さも加わり、めんどくさいから自分でやっちゃおう、となって結局自分の負担が増えていく。
何してんねん(笑)
どうして大学ではそれができなくて、こちらではそれをやろうと思ったのかな?
多分、
1.高校時代のソロでの成功体験が仇となった→大学では思ったように実力で目立てなかったが認めたくない
2.高校時代に、合奏の経験をあまり積まなかった
特に後者。
演奏においても、その他の活動においても、合わない人と合わせなきゃいけないという経験を全くしてこなかった。
だから、同じ大学でも全国各地からやってきて考え方が違う学生より、同じ先生にならって考え方が似ている人たちに寄りたかったんでしょうね。
その方が楽だから。
でもこの時には私の頭の中はもうぐしゃぐしゃになっていたんだ。
誰かの教えを乞うてそれを実行することだけが大切なんじゃなくて、その教えをどう自分のものにするのか?
この考えが完全に欠落していた。
続く!
大学時代シリーズ〜その1〜
さて、前回無事大学に入学したわけですが(笑)
前回記事↓
本当にやりたい放題の高校生活を、送ってた私には、音大の縦社会は全く受け入れがたいものでした。
とにかく1年生のうちは自分のさらう時間より、トロンボーン部屋の掃除、先輩たちのやる吹奏楽やアンサンブルのセッティング、学園祭の準備、学外での演奏会の季節には楽譜のコピーや製本と配布、練習部屋の確保やセッティング、、などなど。
楽器の実力を上げることとは関係ないと思われることをたくさん言い渡されました。
でも同級生は、特に吹奏楽の強豪校から入学している子などはすんなりとその縦社会を受け入れている。(ように見えた)
その時の私にはそれが信じられなかった。
また、高校生の頃はレッスンも自分で先生とやりとりして日程を決め、だいたい10日か一週間に一回のレッスンでコンスタントに受けることができたのだけど、大学は先生がご自身の予定の中でレッスンの日程を出し、そこに学生が受けたい日時の希望を出す、というスタイルでした。
全くレッスンが無い月もあれば、数日連続でレッスンがある月もあり、これまでは一週間でだいたいこれくらい練習できるなと予測が立ち、それをチェックしてもらう場でもあったレッスンでしたが、すっかりペースがつかめなくなってしまいました。
こう書き出してみると、社会人になればあるあるなことばかりだなぁ、って思うのですが、当時はまだ19歳の学生。
それに、とても高い学費を親に出してもらっているのに、この内容は納得がいかない、という自分もいました。
何しにきたの?楽器上手くなるためにきたんじゃないの?と。
だから何度も先輩の言うことは聞かず、同級生との話し合いにも応じず、すごい怒られ嫌われました。
先生に、せめて2週間に一度など、コンスタントにレッスンに来て頂くことは出来ないのかも聞いてみたことがありましたが、お返事はなかったような記憶です。
そして、ある同級生に、思っている不満をぶつけたんです。
せめてレッスンはコンスタントにあるべきじゃないのか?と。
すると言われた一言
「それを自分でやるのが大学なんじゃないの?」
これ、言われた時は、
はぁ〜!?
って思いました、正直。
でも、今思うと、これはすごく大切な考え方だったんだなぁ、と思う。
私はこれができなくて、誰かに依存したかったんだと思います。
続く!
祝!音大入学!
おめでとうございます!
無事に、大学編に突入しました!笑
入学式の様子とか、あんまり覚えてないけど、冬期講習会で友達になり、この度大学の同級生となったトロンボーンの子とホールであったのはなんとなく覚えている。
…というのとで、以降細かいこと書くと大学がバレるんじゃないかとビビリな私はドキドキしてしまう。笑
とりあえず、入学式が終わったらトロンボーンの先輩方に呼び出され、まず最初の大学生活の基本として、トロンボーン科に仕えることをご説明頂きました。
まず手始めとして、トロンボーン科の部屋の掃除を毎朝やることと、飲み会の作法の説明。
からの最初の仕事はトロンボーン科の部屋に貼る掲示物の作成を言い渡されたのでした。
油性マジックで、手書きの作成をするようにとの指示で、もちろん間違いがあってはダメだし、書き直した跡があるようなことがあった場合は最初からやり直しとのこと。
これがねー、情報量が多くて書くの時間がかかるんですよ。
この日は、確かこれで終わった。
え?私何しに音大入ったん??
マジで初日から思いました。
だってこの日楽器触ってないよ。
これまで自分のペースで、一日5〜8時間くらいさらうような生活を送っていた私。
1年365日のうち、練習を休むのは2日くらい、それもコンクールが終わった次の日だけとかさ。
しかも私の高校生活、部活はおろか、文化祭などの学校行事も全く参加せず、修学旅行にもいかない、練習間に合わなかったら授業サボる、やりたい放題だったので
このギャップ、マジやばかった。
やばかった。
やばかった。
やばかった。
続く!!
いよいよ音大受験
さて、本題に戻ります。
高校3年生でなかなかメンタルがやられていました。
(この辺りの過去記事、ご参照ください)
tromboneyumenikki.hatenadiary.com
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毎日心臓が痛くて、だからなんども練習しないと不安なのに、そんなメンタルだから頭に入らない、身につかない。
これなんでかな?
失敗しちゃいけないって思いが強すぎるからなんだよね
そのままの自分を受け入れられず、背伸びしすぎてるからなんだよね。
不安でたまらない思いを先生に打ち明けた。
そしたら
めっちゃ怒られました、ええ。
思えば中学~高校にかけて。
私は大人の言うことをよく聞くいわゆる優等生タイプだった。
自分で考えてないのよ。
先生がこういったからこうしよう、なのよ。
しかもそれによりいくつかの成功体験があるもんだから、余計にね。
で怒られたから、また練習をしてしてして・・・
試験日5日前に、背中が全面筋肉痛のような症状に襲われました(´Д`)
寝ていても寝がえりが痛いし、歩くのも痛いレベルだったから、もう終わったと思いました。
でも、このころの回復力は脅威。
何とか私立の入試には間に合い、私立は合格。
で、芸大受験ね。
試験日遅いんですよ。3月だったかな。
以前の記事にも書いたように、私が受験した年からコープラッシュ1巻全曲の中から当日指定だった。
tromboneyumenikki.hatenadiary.com
全然吹けなかったよ。もちろん落ちたよ。
芸大を受験する人としては全然情報収集が足りてなかったと思う。
芸大の先生に習ってないし、先輩とか知り合いとかいないし、本当思えば
先生が受験しろって言ったからしたんだと思う。
(まぁ確かに、芸大用に準備をしようとしてきたおかげで私立に入学してくる人の中では、高校のうちにかなり勉強してきたほうだったけどね。)
こうして高校時代は終わっていったけれど、振り返れば同じ立場の人たちの中で切磋琢磨するというよりは、若いうちから大人の近くにいて色々教えてもらえるところにいたから、自分で考える経験があまりに少なかった。
このことがこの後の大学生活でさらに悲劇を生みます。
・・・・続く!!