大学時代シリーズ〜その4〜
前回記事↓
まず、大学へ通う意義がもう見出せなかったので、両親にまずは大学を辞めたい旨を相談します。
そして、アメリカの大学を受け直したい、と。
父親は猛反対。
(そりゃそうだ)
しばらく父娘の喧嘩が続きます。
そこで母親。
これ、今思うと本当に神だと思うんですが、
「あなたの気持ちはわかった。でも、辞めるのはすぐできる。とりあえず休学するのはどう?」
と。そして休学している間に一度短期間でもアメリカに行って来いと。
この選択は、親としてもすごく覚悟のいることだったと思う。
ただでさえ学費の高い音大。
休学するということは留年することだし、休学中だって満額ではなくてもお金はかかる。
しかもその間にアメリカに行かせるということは、結局休学しないのと同じくらいお金かかったんじゃないかと想像する。
そして、この時の私は全くわかっていなかったけど、当時この日本の社会で大卒であることが、それだけでいかに有意義なことか。
親はそれを娘に持たせたかったんだよね。
私は素直に、退学ではなく、休学を選択しました。
私も人の親になって、この時のことはよく思い出します。
そして親の偉大さに、本当に感謝する出来事です。
さて。アメリカ行くなら英会話やで!!
と、なかなかの金額がかかる英会話教室を、親に相談なくポンと契約してきたり
(親にバレて知らないうちにクーリングオフされてました)
自分がより良くなることしか考えておらず、そのためなら、と、お金の概念がぶっ壊れていましたね。
(それはそれですごいけどな笑)
それでも、何をやっても、やはり根底にある自信のなさ。
前にも書いたけど、この自信のなさは
人の言葉、人の評価が自分の心の中心にあるせいだと思います。
前回記事で書いたトロンボーン奏者の方とやりとりをさせて頂きながら、着々と進む渡米準備。
その方のレッスンももちろん受けられるし、アメリカの某有名すぎるオーケストラのトロンボーン奏者の方にもレッスンのアポが取れた。
というのも、ちょうどそのオーケストラが久しぶりに日本公演で来日するというタイミングもあって、最初は日本でのレッスンを個人的に申し込み、快諾頂いていた。
その際に、アメリカにも行くので、その時もまたレッスンをお願いしたいことを伝えていた。
片言すぎる英語と、当時ガラケーでの翻訳機で…思い返せばこの辺はなかなか根性座ってる笑
でも、結局、自分の心がなんともならないので、弱火でコトコト煮込むような焦りがずっと続いていて。
私何しに行くの?
この言葉が浮かんでは飲み込んだ。
これを言ってしまったら、今度こそ、私の自尊心はぶっ壊れる、そんな本能的なものがあったのかな。
そして、迎えた日本を発つ当日。
家の近くのバス停まで母親が見送りに来た。
頑張ってね…
そして、泣いていた。
なんで泣くんだ。
私も泣いた。
成田に向かいました。
続く